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線で囲まれた虚構

抜け出せない何かに苦しんでいるとき、「ずっとこのままではないか」なんて不安に思うことがありますよね。なんで「抜け出せないんだろう」ってつらくなることもありますよね。

私は大学の卒業論文を書いていて、人間が「線引きをする」存在だということに気づきました。

例えばベジタリアン。野菜だけを食べていれば、命を奪わなくて済むのでしょうか?違いますよね。植物だって生きているんですから。ただ、動物のように個体レベルで生きるのではなく、せいぜい数十年の単位で生きるのではなく、森全体で、土全体で、種全体で、何百年も何千年もの単位で生きているから、人間はそれを「動かない」と認識しているだけなんですよね。要するに、肉眼で見て「常に動いているように見える動物」と「一見動いていないように見える(長い時間をかけて動いてゆく)植物」との間に線を引っ張って、「ここからは食べていいけど、ここからは食べちゃだめ」ってやってるだけなんですよね。

と、いうわけで、私は「命を奪わないこと」を理由にベジタリアンをやっている人は、あんまり信用しないんですよ。「命に線引きしてる」ってことの自覚がないわけですから。それに対して、「健康のために」ベジタリアンをやっている人は評価しますよ。

ただし、人間が「線引き」を全くしなくなるということがあり得ないのも、事実です。だって、選別(線引き)をしないで全てを受け入れるなんて、絶対にできないですよ。人間は本来的に全てを受け入れられるわけではないから、きっと苦しむんですよ。受け入れられないことに。

「抜け出せない」と悩んでいる時、自分で線引きした「線」を見つめてはいないでしょうか。「あそこから先に行けば抜け出れるのに、なんで抜けれないんだろう」って。そんなときは線引きを止めてみたら良いのかもしれませんね。「線」が見えなければ、進んでみようって気になるんじゃないでしょうか。「よくわかんないけど、とりあえず進んでみよう」って。いつの間にか、なんとかなっているものですよ、きっと。線で囲まれた虚構の中に身を置いてしまうからこそ、苦しむんですよ、きっと。