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ひとつの区切り

自分はなぜ生きているのだろう、などというご大層なことを、未だに考えることがある。日本の中だけでも1億を越す人間がいる。世界中で考えたら、自分は60億の中のたったひとつの存在だ。例えば今の私の生活の大部分は  Smoke Stings Studio に費やされているわけだが、そこにどのような意義があるのだろう、なんて思ってしまうわけだ。

こういう時は、いつもネクタイのことを考えるようにしている。

例えばネクタイのデザインを完成させた人間の名前を、どれだけの人間が知っているというのだろう。毎日全世界で何億という人間がネクタイをしめているはずだが、その中で、何人の人間がネクタイを作り出した人間の名前を知っているというのか。

ネクタイを作り出した人間の名前は、今ではもう残っていないのかもしれない。しかし、考えてみれば、ネクタイを作り出したその人の、開発者の精神というものは何十年も(何百年も?)経った今でも生き残り、それは世界中に伝播しているのではないだろうか。

人は死して名を残すのみではない。精神を、魂を後に残してゆくのだろう。ネクタイは日々新しい世代の人間達によって新たにデザインされ、改良されてゆく。しかし、襟元を整え、引き締めるというネクタイの本質は変わらない。本質が変わらないからこそ、それを最初にデザインした人間の精神が生き残っているといえるのではないのか。何かひとつのものを作り出し、それを通じていろいろな人間と関わった人間は、自分の寿命以上に、魂として生き残ってゆくことができるのではないのか。

...だからこそ、私は人を教えるのかもしれない。私はたった一年間(時には数年間だが...)という限定された期間内に生徒達と接してゆく。基本的に生徒達は一年経てば入れ代わってゆき(私は大変寂しい思いをするわけだが)、私はその一年の中で彼等の人生と関わり、彼等の未来を作り出す手伝いをしている。彼等にとっては、私の存在などたかだか興味の湧かない教科(英語)を担当する一学科講師に過ぎないわけだが、それでも私は授業中に彼等に語りかける(教える、ではなく)ことにより、彼等に精神的に影響を与えてゆくことができる。一年後には別れが来てしまう関係だとしても、私の語りかけた言葉のほんの一部でも彼等の中に生き残り、そして、私の名前などやがて忘れ去られてしまうかもしれないが、心の奥底の方に残っている私の断片をもとにして、彼等は何かを作り出すかもしれない。そうすれば私は、たとえ形になってはいなくても、名は成していなくとも、精神として生き延びてゆくことができる。私は、それが先生として人を教えるという行為だと思っている。否、正確にいえば、人と関わってゆくという行為は、全てそれに当たるのではないだろうか。

人間が関わってきたものは、一見終わってしまうように見えて、けっして終わったりはしない。そこにはひとつの区切りがあるだけだ。そうやってゆくことで、人間は最終的には死ぬことすら乗り越ることができるのではないだろうか。そうやって人はどんどん新しいものを生み出してゆくのではないだろうか。古いものは、形を持たない存在として、新しいものに常に含まれる。いつかその影響は完全に消えてしまうかもしれないが、それはまだまだずっと先になるのだろう。