王子ファイバーの「紙の糸」がルイ・ヴィトンのスーツに使用される(asahi.com 2005.1.4)
(記事概要)
王子製紙系の王子ファイバーがパルプから作る「紙の糸」が、ルイ・ヴィトンの今秋の紳士服新作に採用される。男性用背広の上下と上着で使うが、2月にも糸の色が決まる見通し。
私はどちらかといえば、昨今の科学技術の異常なまでの発展に恐怖を覚える方ではあるが、このような技術なら大歓迎である。先日母親が「竹の糸」で編まれたマフラーを私にプレゼントしてくれたが、最近は綿のマフラーもよく見かけるようになり、化学繊維を好まない私には、非常にありがたいことである。
年末に「オーガニック」を題材にした論文書きを少々手伝ったのだが、その時に「繊維」については多少考えさせられた。
そもそも、自然界は「直線」を持たず、基本的には「曲線」で構成されている。例えば植物の茎が直線に見えたとしても、それはただ単に「遠くから見ている」だけである。あるいは近くによってみていれば、植物の茎は花弁や実の重みによって微妙なカーブを描いているはずであり、産毛も生えている。太い木の幹といえども、ゴツゴツとしたでこぼこがあるはずである。古来より人間は常に身の回りを曲線で囲まれ、曲線の中で生きていたと言えよう。ところが現代では(特に都市部では)、生活のほとんどが直線に囲まれていることに気付くはずである。極端な例では、(特に不連続/不定期の)曲線を持つものは排除されてしまうことすらある。
もしかしたら、「直線」というのは、人間が「曲線」という自然界の庇護下から抜け出したいという欲求を体現したものなのではないだろうか。ちょうど、子供が親からの独立を望み、親が理解できない音楽やメディアにのめり込んでゆくように。
染織(テキスタイル)に関していえば、自然界に存在する丸みを持った「線」(多くは植物から生成される)を寄り合わせそれを「直線(糸)」に加工し、縦横に織り成して「平面」を作り出し、その「平面」によって丸みを持っている人間の体を包み込んでゆく行為から始まっているのだろう。そう考えると、染織(テキスタイル)というのは、自然(曲線)を利用した、非常に人間的な(直線の)行為である。
よく考えてみれば、そもそも「糸」と「紙」の区別自体が曖昧なのではないか。学術的にどのように言われているかは知らないが、少なくとも私にとっては、「糸」と「紙」の違いは、単なる一次元と二次元の違いであるように思われる。まあ、その一次元と二次元の違いが大きなものなのかもしれないが。
「紙から作られた糸」があるのなら、「糸から作られた紙」も当然存在できるはずである。と、いうよりも、実際に存在はしているのではないか。「糸から作られた平面」は「紙」ではなく「布」と呼ばれているだけなのだから。石油系の樹脂で作られた平面などは、ポリエステルのいとこくらいにはなるのであろうから(アクリルなどはそのものか?テキスタイルで使用する「アクリル(繊維)」と樹脂の「アクリル(平面/立体)」、絵具で使用されている「アクリル(液体)」が全く同じものか否かは、よく知らない)。様々な分野で様々な原料が使用されるようになっている現在、「紙」だの「布」だの「糸」だのというものは、クリエイターの製法へのこだわりと言葉の持つ風合い以上には、あまり意味を成さなくなっているのかもしれない。