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ブラックバスのなれずしと良寛

ブラックバス/ブルーギル、なれずしに見事変身(滋賀新聞 2005.1.9)

(記事概要)
琵琶湖の在来魚を食い荒らすことで問題となっているブルーギルとブラックバスが、ふなずしのように「なれずし」に加工され、商品になった。今までは外来魚の有効活用の道は、肥料以外にあまりなかった。

外来種法規制、ブラックバス指定見送り(Yahoo! news 2005.1.9)という釣り業界の利権が醜く剥き出しになったニュースがあったばかりだが、このようなニュースが出てきて、少々ほっとした次第である。

私は、自分が食べる分だけを釣る釣り人は好意的に見れるが、「キャッチアンドリリース」や「スポーツフィッシング」をする釣り人は好きになれない。

「キャッチアンドリリース」は、一見生態系の種の保全を考慮したやり方のように見える。しかし、環境問題の根本原因は人間が自然の回復能力を超えて環境を汚染してしまうことにある。魚を例に取れば、個人個人や家庭で無駄なく消費する程度の量の魚を釣ることは大して問題ではなく、問題なのは自然に魚が生まれ、増えていくペースをはるかに上回る量を人間が無計画にとってしまうことである。「キャッチアンドリリース」という考え方自体が、自分達が食べる分以上(以外)の魚を釣ることを前提とした考え方である。慎ましく食べられる分だけを釣り、そしておいしく調理してそれを食べていれば、それで良い。

「スポーツフィッシング」に関しても、人間は魚との駆け引きを楽しめるかもしれないが、魚の立場にとってみれば唇を針で引っ掛けられて引き回されることなど、望んでいはいないだろう。私は「スポーツフィッシング」を見ると、首に投げ縄を引っ掛けて保安官を馬で引き回す無法者を思い出す。何が「スポーツ」だ。人間も動物も、動物も、地球全体も、同じ生き物なのだ。「スポーツフィッシング」をやる人間は、自分も唇に釣り針を引っ掛けられて自動車にでも引き回されてみるがいい。肉体的に、そして精神的にどれだけ傷付くかぐらいは容易に想像できるだろう。

しかし、釣り自体は魚の命を奪うということで否定されるべきものではない。この地球上に存在するほとんど全ての生命は、他の生命の持つエネルギーを、食べる、つまり他の生命を奪うことでしか、自分の存在を維持できない。そう考えると、人間も、他の動物も、生きていること自体が罪深い存在であるという、根本に大きな矛盾を抱えているのだ。だからこそ人間には哲学が生まれ、宗教が生まれ、その矛盾を覆い隠し、あるいは剥き出しにし、精神のバランスを取る必要が出てくるのである。

さて、私があらゆる人間の中で、無条件に尊敬することができるのは江戸時代後期の禅僧「良寛」だけである。この良寛、書家の最高峰であり、優れた詩人(漢詩)/歌人(短歌、長歌、俳句)であるが、お坊さんのくせに酒も飲むし、生臭もの(魚など)も平気で食べる(そして一日中、子供達と遊んでいる)。一見ただの愚かな破戒層なのだが、良寛のやることは全体を俯瞰してみると、実に理にかなっているのである。

良寛は越後の山中に狭い庵を構えて住み、持ち物といえば服と杖と、食べ物を入れる鉢、書の練習をするための筆くらいしか持っていなかった。この「鉢」に無造作に食料を入れて庵に置いておくのだが、当然のことながらその食料には虫が集る。普通なら虫の集った食料などは捨ててしまうものだが、良寛は虫を鉢から逃がしてやって、そして虫に喰われた食物を自分も食うのである。自分も生き物。虫も生き物。ただ、同じ食べ物を食べる存在というだけであり、良寛にとっては「自分の食べ物を虫に喰われた」という概念はないのである。

だからこそ、良寛は魚も食う。酒も飲む。植物の命は奪うが動物の命は奪わないなどという、線引きをしない。食材の高い安いなども関係ない。おいしいかどうかなども、関係ない。実際、良寛は平気で腐りかけた食物を食う。食べられるものがそこにあるから、というただそれだけで。ただ自分の生きてゆく分を、慎ましく消費してゆくだけなのである。

しかし、やはり気分的に虫の食った食物はあまり食べたくはないし、腐りかけた食物も食べたくはない。どれだけ年を経たとしても、私はここまでは達観できないだろう。私が良寛をあらゆる人間の中で、唯一無条件で尊敬しているのも、それが理由だ。たとえ奇跡が起きたとしても、私には良寛の影に触れることすらできないはずだ。この人の存在は、あまりにも凄すぎる。関連する書籍などは多数出版されているので、是非良寛に関する逸話を一読することをお勧めする。

人間は確かに罪深い存在かもしれないが、その一方で素晴らしいものを作り出すことのできる力も持っている。私がアートに関わっていたいのもそれが理由である。だからこそ自分の作り出すものに対して無責任だったり、こだわりがなかったり、思慮の足りなかったりするアーティストは、基本的に好きになれない。私は「ものを作る」人間に対しては、基本的にかなり厳しい態度で接している。もちろん、「社交辞令」というフィルターをかけることは忘れないし、厳しいばかりでは人間関係が成り立っていかないことも承知はしているが。

ブラックバスやブルーギルという、扱い難い外来魚をなれずしに見事変身させた守山市、レイクフード工房代表の方には心から敬意を払いたいと思う。人間の歴史など、戦争と犯罪と欲望と憎しみの連続であるが、ほんの小さなきれいな光が、ところどころにちりばめられている。私はこのような小さくきれいな光をなるべく長く維持させてゆきたいと思うし、自分でも作り出してゆけたらよいと思っている。