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【第1章 原始の理 D】 霊魂

太陽の輝いている昼間よりも、夜は自分自身の知覚できる範囲が狭まり、自分自身の意志の力がほとんど働かなくなってしまように思えるだけに、よけいに精霊の力が増すように思える。そのような中、人間はその大いなる意志の力の脅威から逃れるように目を閉じ、眠りにつく。

そして彼は夢を見る。夢の中で彼は自分の行ったこともないような場所へ行き、自分が普段まったく出来ないようなことを行い、すでに死んでしまって会えなくなってしまった人間に出会う。朝が来て目が覚めたとき、彼はなぜ自分が行ったこともないような場所へ行けたり、死んでしまった人に合うことが出来たのかを考える。そして、夢の中の「本来行けるはずもないような場所や知らない場所へ行ける自分」「普段出来ないようなことが出来る自分」「夢の中で会うことの出来る死んでしまった人」を普通の人間とは別の独立したものとして考えるようになり、そこから発展して肉体という制約を超えた人間の全人格を象徴するものとして、また、動物が持つ意志としてさえ「霊魂」を使うようになる。

精霊と同じで霊魂も本来は人間の意志という実体のないものから生じている実存であるが、生きている人間の意志というものは必ず肉体という実体を持っているものだから、人間の意志を象徴する「霊魂」には最初から実体が付与されている。だから多くの場合の霊魂は人間の形をとって現れるものとされるのである。例えばエジプト人は人間が三つの部分からなっていると考えた。一つは「体」であり、あとの二つは「バー」と「カー」と呼ばれるもので、これが「霊魂」にあたる。「バー」と「カー」のついてはエジプト人自身の区別はさほど明確でなかったようではあるが、「バー」は体を動かす生命力であり、「カー」の方は人格であると考えていたようだ。エジプト人は、死んだ後も「バー」と「カー」は体の中に宿っていて、昼間の間は抜け出して飛び回る事が出来ると考えていた。しかし、夜になったら「バー」も「カー」も体に戻って飲食しなければならず、もし戻るべき体がないときには本当に死んでしまうと考えていたという。この本当の死(死の第二段階)に至らないために死体保管の為のミイラづくりの技術が発達したのではないかと推測されるという(笈川博一『古代エジプト--失われた世界の解読』中公新書より)。

古代エジプト 失われた世界の解読

日本人にはあまり馴染みのない国、エジプト。その古代にはどのような宗教、死生観、言語と文字、文化が存在していたのかを解説した書籍。

精霊と霊魂の決定的な差は精霊のほうが人間以外のものに対する畏敬の念が基本になっているのに対し、霊魂は人間に対する畏敬の念から生じたということ、精霊の実体が呪術や儀式のための便宜上のものであるのに対し、霊魂の実体は最初から付与されているということにある。これは重要な要素である。人間の形をした実体を最初から持っている持つ霊魂は生きている人間との意思の疏通が比較的容易なのである。

さて、アニミズムは人間に崇拝や畏敬の対象の存在をもたらしたものであるが、それに加えてその精霊や霊魂の象徴する属性と同化することによって、その大いなる力を人間のためによりうまく利用しようとしたのが「呪術」である。その呪術を独占的に行うある特定の個人を崇拝するのがシャーマニズムであるといえる。