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【第4章 陰陽五行の理 B】陰陽説

元々は易に由来するもので、森羅万象の状態を表す概念で、能動的・攻撃的な状態を「陽」、受動的・防衛的な状態を「陰」と呼ぶ。例えば、明・日中・表などは「陽」であり、暗・夜間・裏などは「陰」になる。また、「陰陽」は単に物の性質や現象の区別を表すというだけではなく、状態がいずれの方向に向かうかを示すベクトルのような概念としても用いられる。つまり、「陽」は前進・右旋・上昇・右方向を表し、「陰」は後退・左旋・下降・左方向を表すということになる。ここで注意しなければならないのは、陰陽は絶対的な相ではなく、物事の相対的な相を表す概念だと言うことである。陽は陰を含み、陰は陽を含む。全てのものはそれが置かれている状況によって時には陽の相が表れ、時には陰の相が表れる。例えば明るい太陽のもとでは火は陰の相を持ち、闇の中では火は陽の相を持つのである。

世阿弥の『風姿花伝』にはこの陰陽説に基づいて能の心構えが説明されている。

「秘儀にいはく。そもそも、一切は陰・陽の和する所の堺を、成就とは知るべし。ひるのきは陽気なり。されば、いかにも静めて能をせんと思う企みは、陰の気なり。陽気の時分に陰の気を生ずること、陰・陽和する心なり。これ、能のよく出で来る成就の始めなり。これ、面白しと見る心なり。夜はまた陰なれば、いかにも浮き浮きと、やがてよき能をして人の心花めくは陽なり。これ、夜の陰に、陽気を和する成就なり。されば、陽の気に陽とし、陰の気に陰とせば、和する所あるまじければ、成就もあるまじ。成就なくば、何か面白からん。また、ひるの内にても、時によりて、何とやらん、座敷も湿りて、淋しきやうならば、これ、陰の時と心得て、沈まぬやうに心を入れてすべし。」

つまり、陰陽がどちらか一方に偏ることなく調和している状態が最も良い状態であり、その時々によって能を演ずるものは舞台の上からその場の陰陽の雰囲気を感じ取って、自分の演ずる能がうまく全体の雰囲気と調和するように演ずるのが良いというものである。

ここでの世阿弥のいう「秘儀」が陰陽説にあたるものであると考えることが出来る。

陰陽説の概念では天地開闢も説明される。つまり、原初、宇宙は天地未分化の混沌たる状態であったが、その中から光明に満ちた軽い澄んだ「陽」の気が上昇して「天」になり、次に重く濁った暗黒の「陰」の気が下降して「地」になったという。つまり本来は陰陽の二気は「混沌」という一気から派生したものであるので、陰陽二気は反発するものではなく互いに引き合うという。これは「天地同根」「天地往来」「天地交合」と呼ばれる。例えば、天(陽)から降った雨は地下(陰)に浸透するが太陽の熱にあたためられて蒸発(上昇=陽)して雲になり、再び雨となって地上に降り注ぐ(下降=陰)といったような事を説明する為に用いられる。『風姿花伝』の例からもわかるように、全てのものは陰か陽のどちらかの性質を絶対的なものとして持つものではなく、陰と陽の間での行き来がある相対的なものであり、ここから万物流転の輪廻の思想にもつながっていくのである。陰陽説は、万物に共通に存在する陰と陽という二つの相対的な側面を考えていく「抽象の世界観」といえる。