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【第6章 言語の理 B】文字の歴史

文字の歴史

「歴史は文字とともにある。人間は文字を持つことで初めて、重大な出来事を時間にそって記録することができる。」(『文字の歴史』)

川の流れのようにとどまるところを知らない時の流れの中で消えていってしまうものを、人間は文字によって残してきた。現代の文明を考えるときに文字の歴史ということは決して無視できないものとなっている。

メソポタミアの文字

人類の歴史上で初めての文字が生まれたのはメソポタミアである。メソポタミアの文字は楔形文字として有名であるが、その初期のものは文字というよりも、例えば牛の頭の形を単純化したものや女性器の形を単純化したものといったような略画に近いものであったといわれる。そして、そういった絵文字が次第に単純化されていわゆる「楔形文字」として残っていくようになった。絵文字から楔形文字への移行は、粘土板にペンのようなもので絵文字を書いていたものが、葦の茎を三角形の形に切り落としたものをペンの代わりにしてその切り口を粘土板に押しつけ、三角形や釘の形の文字を刻むようになったという筆記用具の改革によるところが大きいといわれている。

楔形の文字は長い年月を経ていくうちに変形され、次第に物の形とは直接の関連性を持たないものとなっていく。また、例えば本来は「足」を表していた記号が「歩く」「立つ」「運ぶ」といった意味をも持つようになるというように、楔型の記号が物の形と対応することをやめて記号としての汎用性を持ちはじめ、文字の総数は減り、より多くの人々が文字を利用することが出来るようになっていった。

文字の記号としての汎用性の獲得、つまり文字自体の抽象化とは別に、表意文字から表音文字への移行という重要な変化が訪れた。意味の似たものを一つの文字を使って表すのではなく、意味ではなく発音を表す同じ一つの文字で、あるいはその複数の文字の組み合わせで全く違った概念を表すようになったのである。メソポタミアにおいてはシュメール人が表意の楔形文字と表音の楔形文字を組み合わせて使っていたという。これはちょうど日本語において漢字と平仮名・カタカナが組み合わされて使われているのと同じようなものであろう。日本語においては漢字が表意文字にあたり、平仮名・カタカナが表音文字にあたるわけである。

古代エジプトの文字

古代エジプトの文字は「ヒエログリフ(聖刻文字)」と呼ばれるものである。古代エジプト人はトトという神がこの文字を発明してそれを人間に授けたと信じていた。ヒエログリフはほぼ完全に話しことばを文字に表したものであり、抽象的な事柄も具体的な事柄も書き表すことが出来る文字体系である。ヒエログリフは大きく三種類の文字に分類される。ひとつは事物を表す絵文字や図形であり、これらの文字の組み合わせで観念的な事象を表すことが出来た。もう一つは表音文字であり、発音のみを表すものである。最後は意味を限定するための文字であり、他の文字について意味を明確にする補助的な機能を持っているものであった。

ヒエログリフで記述されたものの中で最も有名なのは『死者の書』である。第一章で古代エジプトの霊魂「バー」と「カー」の考え方を例として挙げたが、それも『死者の書』に基づいたものである。『死者の書』は古代エジプトにおいて死者を埋葬するときに、ミイラ(遺体)とともに埋葬された死後の世界の案内書である。この『死者の書』は死者が復活するまでの様子が詳しく述べられているものであり、葬儀の際に神官によって朗読された。『死者の書』を朗読し、ミイラと一緒に埋葬するということは死者の復活を願う「言葉と文字による呪術」を執り行うということであり、そのことによって死者は復活を約束されると古代エジプト人は考えていたようだ。

中国の文字~漢字~

漢字は中国において漢王朝と呼ばれる時代に文字としての体系が整ったもので、そのために「漢」字と呼ばれている。この中国の文明が生み出した文字はメソポタミアの楔形文字や古代エジプトのヒエログリフと違って現代でも成立当時の原形に忠実なまま使用されている。

中国の伝説では漢字は黄帝と呼ばれる皇帝が自然現象を観察しているうちに文字を発見したとしている。しかしこれはあくまで伝説で、現在では占いに使用された亀の甲羅や鹿の肩こう骨のひび割れの形から漢字は発達したとされている。これは黄河流域の古い地層の中から文字の刻まれている亀の甲羅と鹿の肩胛骨が発見され、その破片に刻まれていた文字(亀甲文字)が現在使われている漢字と基本的な構造が同じであることから推定したものである。

どのような文明にあっても文字の発達の第一歩は絵文字であったようで、漢字も楔形文字やヒエログリフと同じで絵文字から発達した。そして、漢字には初期の絵文字の痕跡が未だ残っている。また漢字の最も特徴的な性質は、漢字が発音に依存しないということである。また同じ一つの発音であったとしても文字が異なれば意味はまったく異なる。つまり文字さえ知っていれば発音を正確に知らなくても内容を把握することが出来るのである。話し言葉よりも書き言葉に重点があるといえよう。

アルファベット

アルファベットの発祥の地は地中海東岸のフェニキアであるといわれるが、フェニキア文字がどのように発達したかということはまだよくわかっていないようだ。現在分かっているところでは、フェニキア文字は子音を表す文字しか存在しなかった。子音だけの言葉というのはありえないので、母音は存在したがそれを表す文字が無かったのではないかと推測されている。このフェニキア文字の流れをくんでいたギリシャでは、実際は母音が多く発音されていたためフェニキア文字をそのまま使っていたのでは不便であった。そこで、ギリシャ人は、母音を表す文字をやはり同じフェニキア文字の流れをくむアラム語の子音の中から、自分たちギリシャ語にはない文字を母音として採用することにし、その後アルファベットは紆余曲折を経て現在に至っているのである。

楔形文字、ヒエログリフ、漢字はどれも物の形から発展して出来た記号であった。このような文字体系の中では、読み書きの能力は膨大な数の記号や文字を覚えることにかかっていた。そのことから、膨大な数の文字を覚えている書記は当時の超エリートとしてしばしば王族よりも強い権力を持つに至った。しかし、アルファベットはそのような性質の文字とは異なり、基本的には30程度の数の文字を覚えれば全てを表すことができる。もちろんたった30程度の文字で全ての発音を書き表すことはできないので、実際はそれらの文字を組み合わせて発音のパターンが作られ、しばしばそれは不規則なものになってしまったりする。しかし、何百何千という文字を覚えることに比べたら、そのような不規則性などは微々たるものである。このことから、覚えるのが楽という点において、アルファベットはある意味での「知」の大衆化の先駆けをなしているといえるだろう。

この少ない文字の組み合わせでで多くのことを表せるというアルファベットの性質は、ひとえにアルファベットが文字一つ一つに意味を持たない表音文字であるということによっているのである。

(以上の文章は、ほとんど『文字の歴史』(創元社/ジョルジュ・ジャン)を参考にしているものである。)

これらのことからわかるように、文字の種類は大きく二つに分けられる。表意文字と表音文字がそれであり、アルファベットは表音文字、漢字は表意文字に分類されるものである。この、ものごとを記述する手段としての文字の二つのパターンの分類は「象徴の世界観」「抽象の世界観」という世界を捉える手段の二つのパターンの分類に似通っている。表意文字は「象徴の世界観」に似ていて、表音文字は「抽象の世界観」に似ているといえよう。

表意文字は文字の一つ一つに発音とは直接関係の無い意味を内包しているものであり、つまり文字の一つ一つに属性が備わっている。これは世界を構成する要素の一つ一つの中に固有の属性を与え、その一つ一つの要素が互いに自分の属性にしたがって世界に働きかけることによって世界が動いていると考える象徴の世界観の考え方に似通っているといえる。

そして表音文字は文字の一つ一つは固有の意味を内包せず、単に意味や属性とは関係の無い発音のみを表しているものである。発音は意味とは直接関係あるものではないので、表音文字を使う人間はある一つの発音がどのような意味を表すかということを自由に決定することができる。あるいは、同一の発音の中で、全く異なった意味を内包することができる。つまり、あらゆる意味(属性)を内包することのできる可能性をもっているという意味である。したがって表音文字は、この世界を構成している個々の構成要素の属性を超えてあらゆるものに共通するものを考えていく抽象の世界観の考え方に似通っているといえる。

つまり、世界観を分析する際の二つの視点である「象徴の世界観」と「抽象の世界観」は、言葉を記録することによって後の時代に伝えていく事のできる「文字」の二つの性質と非常に似通っているものなのである。